鈴木酒造店の歩み
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創業
鈴木酒造店の酒づくりの歴史は、もともとの生業である江戸出しの廻船問屋を営む傍ら相馬藩より濁酒製造を許されたのが始まりで、天保年間には製造を行っていたという記録があります。生業が海にまつわる仕事だったため、酒蔵の堤防を挟んだ向こう側は海という全国的にも珍しい立地で、以来、浪江町請戸(うけど)地区にて営業を続け、海の暮らしに寄り添ってきました。「板子一枚下は地獄」というように、海の男たちは命の危険と隣り合わせの仕事の中で何事にも縁起を重んじるため、めでたい名前が重宝されたことが弊社の代表銘柄である「磐城壽」の由来となったのです。
東日本大震災
2011年3月11日の東日本大震災で全建屋が流失し、蔵は福島第一原子力発電所から直線距離で7kmの場所にあり、原発事故によって避難指示が出されてしまいます。
震災の約2ヵ月前に研究目的で福島ハイテクプラザに送っていた「酒母」が残っているという知らせを受け、諦めることなく震災前の浪江の酒の再現に向けて動き始めました。
震災直後から福島県内の酒蔵を借り、酒を出荷すると「世話になった人に渡したい」「ほしい人が多いから自分は1本でいい」など、予想以上の反響が寄せられます。
待ってくれている人がいるのならと、早期の再出発を心に決めたのです。
長井へ
最上川舟運で栄えた山形県小出村(現・長井市街南部)の有力者たちが出資し、昭和6年に東洋酒造株式会社として創業。当時の銘柄は「東洋乃誉」「菊東洋」で、後に「一生幸福」が主要銘柄となりました。平成23年10月に株式会社鈴木酒造店が全株式を取得し、同年12月に現社名「株式会社鈴木酒造店長井蔵」と名称変更して現在に至ります。取り出した酵母から浪江の米と水を使い、長井の蔵で浪江の酒を造りながら、浪江町への帰還を目指してきました。
浪江町への帰還
震災から10年を費やし、いよいよ浪江での酒づくりを復活させる機会に恵まれました。
長井蔵はそのままに、浪江町の道の駅「道の駅なみえ」に隣接する形で「なみえの技・なりわい館」が完成し、その中に公募事業者として入居しました。浪江産の米や米麹を使って、とことん品質にこだわるつもりです。地元の農業をはじめ食文化の持続性にも貢献し、浪江から世界一の酒づくりを目指していく覚悟です。